あろえ氏なる人物から、拙作について多くの誤解に基づいた批評、あるいは誹謗を受けましたので、僭越ながら反論させていただきます。
あろえ氏がAmazonに投降したレビュー
『スワロウテイル人工少女販売処』について
あろえ氏>ある場面(P221)では、九州は日本ではないと書き、ある場面(P400)では屋久島を日本だと書いている(屋久島だけ日本なのか?)。
時系列として、かつて屋久島が日本の領土で会った頃に皇室へ寄贈された品物を、今は椛子が拝領して秘蔵しているだけのことですが、何が問題だったのでしょうか。
あろえ氏>また、ある場面(P261)では微細機械のために自治区では電波が使用できないと書き、ある場面では揚羽が携帯電話を使っていた(揚羽の携帯はどうやって通話するのだろう)。
携帯電話の通信手段が、高度に進化した赤外線通信になっていることは3回ほど作中で言及しております(p.151 p.249 p.303)。
あろえ氏>さらに、畑をやめれば飢えがなくなると語らせ(P195)、別の場面(P329)では視肉によって食料不安がなくなったと書いている。
食料について、視肉による大量培養が可能になったため、自治区内で畑から食料を得ようとするとむしろ高コストで環境負荷も大きくなると、やはり言及しました(確か該当シーンの周辺ですl)。つまり、視肉他の先進の食料生産以外の旧来の生産は、自治区他の先進都市圏ではむしろ非効率的で、すでにそれなしには都市の人口を養いきれないが、世界の食糧生産が全て視肉でまかなわれているわけではない。視肉はどこでも培養できるものではなく、途上国他への普及は途上にある、ということです。(これも株分けをしている最中、と作中で言及しています)
あろえ氏>一番感動的な場面であろうと想像できる箇所(P511)でも、揚羽が鏡子から髪を撫でられ、身体に触れる形で愛情を示されたのは初めてだったかもしれない、と籘真は書いている。人を殺せなかったと泣いたとき、さんざん鏡子に抱きしめられたことを、揚羽は忘れてしまっている(やはり五等級だから?こんな場面でボケなくても……)。
最初の茫然自失のときと、後のシーンでの「揚羽から見た」意味の違いを察してください、としか……。
おもに、あろえ氏は、三人称の中で特に「神視点」と呼ばれるものを前提にお話しされているようですが、本シリーズの地の文は「神視点」ではありませんので、できれば古典に始まる様々な創作の中で成立した他の三人称形式も思い出して頂きたいです。
『スワロウテイル/幼形成熟の終わり』について
あろえ氏>未来を知っているふたつの人工知能が賭をする、という奇想天外なアイデアをなんとか正当化しようとしているのはわかるが、そもそも、あらゆる事態を想定する(P337)ような人工知能が、はたして未来を知っていると言えるのだろうか。それについての説明もあるにはある(P341)。だが、今後死ぬはずのない一億人の人間が死んでしまうなどの歴史的な変動を、些細なことだとどこまでも許容していけば、地球などなくなってしまっても関係ないし、宇宙が消滅したっていいことになる。別の宇宙で、同じことが起るわけだから……。
未来を知るうえで問題にしたいのは、人工知能が些細なことだと切り捨てる部分であり、それを知らないというのであれば、人工知能は未来など知ってはいないことになる(個人的に、このパラドックスを考えるのは楽しかった。軽い頭痛は体験したが)。
籘真流の決定論を、頭の中で必死に組み立ててみようとしたが、無理だった。それに、どう考えても、彼らは賭をしているのではなく、ガチンコ勝負をしているようにしか思えない。未来を知っていると主張する彼らが、必死に自分の想い描く将来を実現しようと、戦っている。彼らは、未来など知ってはいない(たぶん、籘真は未来を知っているのだろう)。
先に書きましたが、本シリーズはいわゆる「神視点」で書かれているものではありません。よって、作中の地の文にはそのときの視点人物の抱いた印象、感情がそのまま滲み出るように、逆に作者の意図が必要以上に人物の心象を歪めたり評価したりしないように気をつけて書いています。
その前提に立っていただければ、あろえ氏の主張は極めて遺憾な誤解であることがおわかりいただけると思います。
作中において、人工知能は自分たちが「未来を予知できる」とは一度も述べていません。彼らは「そうして未来を予測するのです」と述べるに留まっており、あらゆる事態への備えをすることで、いかなる不測の事態にも対応できるのが自分たちだ、と人工知能は作中で述べています。
おそらく、あろえ氏が特にあげつらっていらっしゃるのは、人工知能が未来を完璧に予知しているはずという、ひとりの人工妖精としての椛子の心象の部分だと思いますが、この表現は前述の通りあくまで椛子と他の人間たちの、人工知能に対する作中世界における一般的な思い込みであり、ここはあえて「人工知能というものが人間からはそれほどまでに万能に見えてしまうのだが、それは人工知能が狼狽えたり慌てたりすることなく、何が起きても常に想定内で先の先まで準備をしているので、どんな事態も初めから知っていたかのように人間からは見える」という世界観の一部を表現するため、あえてこのような当人と他者との矛盾する見解を物語に織り込みました。なぜならこれは、人間においてもよくある誤解であるからです。
予言や予知、占いというものが、なぜ的中したような気がしてしまうのか。そういう問題的を含み、もう少し先までこの物語には織り込みました。あろえ氏におかれては詳しくは「バーナム効果」などで検索して見ていただきたいと思います。つい、私も当然の知識として作中であえて具体的にこれに言及しなかったので、意外に基礎的なところから誤解が生まれたことに大変困惑しております。
以上です。
あろえ氏はブログの方で他にもなにやらたくさんご指摘くださっていますが、すべて思い込みに基づいて視野狭窄を起こしてしまっています。残りについての解説は……まあ、いつか。
あろえ氏のブログと思われるもの
疲れました……
基本的に、作品への評価についてはいかに厳しいご意見でも甘んじて受け入れ、twitterにおいても可能な限りご感想、ご意見を吸い上げたいと考えておりましたが、今回のあろえ氏はなんといいますか……誤解に誤解を積み上げて悪意が滲んでおりましたので、反論させていただきました。
もうこんなことはしたくありませんが、あろえ氏はご自分のブログにおいても同様の誤解に基づいたご意見を展開し、多数のネタバレを含み、作為的で悪意が見受けられますので、実効的な対処も今後、検討してまいります。
あろえ氏がAmazonに投降したレビュー
『スワロウテイル人工少女販売処』について
あろえ氏>ある場面(P221)では、九州は日本ではないと書き、ある場面(P400)では屋久島を日本だと書いている(屋久島だけ日本なのか?)。
時系列として、かつて屋久島が日本の領土で会った頃に皇室へ寄贈された品物を、今は椛子が拝領して秘蔵しているだけのことですが、何が問題だったのでしょうか。
あろえ氏>また、ある場面(P261)では微細機械のために自治区では電波が使用できないと書き、ある場面では揚羽が携帯電話を使っていた(揚羽の携帯はどうやって通話するのだろう)。
携帯電話の通信手段が、高度に進化した赤外線通信になっていることは3回ほど作中で言及しております(p.151 p.249 p.303)。
あろえ氏>さらに、畑をやめれば飢えがなくなると語らせ(P195)、別の場面(P329)では視肉によって食料不安がなくなったと書いている。
食料について、視肉による大量培養が可能になったため、自治区内で畑から食料を得ようとするとむしろ高コストで環境負荷も大きくなると、やはり言及しました(確か該当シーンの周辺ですl)。つまり、視肉他の先進の食料生産以外の旧来の生産は、自治区他の先進都市圏ではむしろ非効率的で、すでにそれなしには都市の人口を養いきれないが、世界の食糧生産が全て視肉でまかなわれているわけではない。視肉はどこでも培養できるものではなく、途上国他への普及は途上にある、ということです。(これも株分けをしている最中、と作中で言及しています)
あろえ氏>一番感動的な場面であろうと想像できる箇所(P511)でも、揚羽が鏡子から髪を撫でられ、身体に触れる形で愛情を示されたのは初めてだったかもしれない、と籘真は書いている。人を殺せなかったと泣いたとき、さんざん鏡子に抱きしめられたことを、揚羽は忘れてしまっている(やはり五等級だから?こんな場面でボケなくても……)。
最初の茫然自失のときと、後のシーンでの「揚羽から見た」意味の違いを察してください、としか……。
おもに、あろえ氏は、三人称の中で特に「神視点」と呼ばれるものを前提にお話しされているようですが、本シリーズの地の文は「神視点」ではありませんので、できれば古典に始まる様々な創作の中で成立した他の三人称形式も思い出して頂きたいです。
『スワロウテイル/幼形成熟の終わり』について
あろえ氏>未来を知っているふたつの人工知能が賭をする、という奇想天外なアイデアをなんとか正当化しようとしているのはわかるが、そもそも、あらゆる事態を想定する(P337)ような人工知能が、はたして未来を知っていると言えるのだろうか。それについての説明もあるにはある(P341)。だが、今後死ぬはずのない一億人の人間が死んでしまうなどの歴史的な変動を、些細なことだとどこまでも許容していけば、地球などなくなってしまっても関係ないし、宇宙が消滅したっていいことになる。別の宇宙で、同じことが起るわけだから……。
未来を知るうえで問題にしたいのは、人工知能が些細なことだと切り捨てる部分であり、それを知らないというのであれば、人工知能は未来など知ってはいないことになる(個人的に、このパラドックスを考えるのは楽しかった。軽い頭痛は体験したが)。
籘真流の決定論を、頭の中で必死に組み立ててみようとしたが、無理だった。それに、どう考えても、彼らは賭をしているのではなく、ガチンコ勝負をしているようにしか思えない。未来を知っていると主張する彼らが、必死に自分の想い描く将来を実現しようと、戦っている。彼らは、未来など知ってはいない(たぶん、籘真は未来を知っているのだろう)。
先に書きましたが、本シリーズはいわゆる「神視点」で書かれているものではありません。よって、作中の地の文にはそのときの視点人物の抱いた印象、感情がそのまま滲み出るように、逆に作者の意図が必要以上に人物の心象を歪めたり評価したりしないように気をつけて書いています。
その前提に立っていただければ、あろえ氏の主張は極めて遺憾な誤解であることがおわかりいただけると思います。
作中において、人工知能は自分たちが「未来を予知できる」とは一度も述べていません。彼らは「そうして未来を予測するのです」と述べるに留まっており、あらゆる事態への備えをすることで、いかなる不測の事態にも対応できるのが自分たちだ、と人工知能は作中で述べています。
おそらく、あろえ氏が特にあげつらっていらっしゃるのは、人工知能が未来を完璧に予知しているはずという、ひとりの人工妖精としての椛子の心象の部分だと思いますが、この表現は前述の通りあくまで椛子と他の人間たちの、人工知能に対する作中世界における一般的な思い込みであり、ここはあえて「人工知能というものが人間からはそれほどまでに万能に見えてしまうのだが、それは人工知能が狼狽えたり慌てたりすることなく、何が起きても常に想定内で先の先まで準備をしているので、どんな事態も初めから知っていたかのように人間からは見える」という世界観の一部を表現するため、あえてこのような当人と他者との矛盾する見解を物語に織り込みました。なぜならこれは、人間においてもよくある誤解であるからです。
予言や予知、占いというものが、なぜ的中したような気がしてしまうのか。そういう問題的を含み、もう少し先までこの物語には織り込みました。あろえ氏におかれては詳しくは「バーナム効果」などで検索して見ていただきたいと思います。つい、私も当然の知識として作中であえて具体的にこれに言及しなかったので、意外に基礎的なところから誤解が生まれたことに大変困惑しております。
以上です。
あろえ氏はブログの方で他にもなにやらたくさんご指摘くださっていますが、すべて思い込みに基づいて視野狭窄を起こしてしまっています。残りについての解説は……まあ、いつか。
あろえ氏のブログと思われるもの
疲れました……
基本的に、作品への評価についてはいかに厳しいご意見でも甘んじて受け入れ、twitterにおいても可能な限りご感想、ご意見を吸い上げたいと考えておりましたが、今回のあろえ氏はなんといいますか……誤解に誤解を積み上げて悪意が滲んでおりましたので、反論させていただきました。
もうこんなことはしたくありませんが、あろえ氏はご自分のブログにおいても同様の誤解に基づいたご意見を展開し、多数のネタバレを含み、作為的で悪意が見受けられますので、実効的な対処も今後、検討してまいります。
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